ブチのお葬式とブチのこと

別の日にアップしましたがみてると泣きそうになります。記録の手ためです。

本日、銀山寺で昨日亡くなったブチのお葬式と火葬をしました。
この機会にブチのことや経過や今思っていることを書きたいと思います。
しばらくすれば忘れてしまうとも思うし、またブログに書くことで
ネットの海にすこしでも跡を残すことができれば短い命でも生きた証に
なるかもしれません。

12/2の夜10時半くらいに4兄妹で生まれました。体重は71gでした。
他の子は90から100gくらいなので小さいなと思いました。
親は兄妹猫で未熟児なので奇形の可能性もあると思ってましたが
とにかく育てることにしました。
当初より体格差で他の兄弟に負けていたのと親が小さいのとで
乳の飲み具合を見て他の兄弟の脇から乳首に口を持っていかせたり
していました。少しずつ体重が増え始めて2週間で165gになり
3週間目で202gになりました。

病院には生まれてすぐに相談に行きその時は未熟児は厳しい可能性を
説明されました。その後1度健康診断してもらって外形上は異常が
ないことの確認しました。クリスマス前くらいに片目が開いてないようなのと
くしゃみしているような気がしたので相談したので点眼薬を処方されました。

200gを超えて外形上の異常がないことの確認したところでかなり油断が生じた
ことは間違いありませんでした。その後計測が少しおろそかになり母親に任せきりで
大丈夫と判断していました。病院に行ったときに目が開いていたので点眼薬も無用と
思いました。この判断が非常に悔やまれます。

その後12/26に218gになり最高体重です。ただいま見返すと22日からの4日で16gと
増えが少ないです。吸収が良くないので5gくらいは目安にしていたのですが足りてません。
他の子とも倍近く差がついていました。またこの時期に巣箱の引っ越しがあったのですが
その結果オス猫との隔離が難しくなりました。オス猫も甲斐甲斐しく世話するのですが
なぜか夜やたまに昼間に1匹だけ巣箱から出すという行動を両親猫がしてこの子が
選ばれることが多かったです。冷えのことや投げ飛ばしたりするのでなるべく
隔離していたのですが鳴き声で起きられたときにはすぐ巣箱に戻していましたが
起きられないこともありました。これも負担になったのかもしれません。

12/29の朝確認した時なんか元気が無いように見えて体重を測ったのですが215gと26日に
比べ減ってました。驚いて哺乳瓶などで授乳させましたが気がついたときにはお腹と肩で
呼吸するようになりました。事実上このときには手遅れだったようです。病院に行き
抗生物質の点滴をしましたが帰ってきてミルクを吐きました。かなりの量でした。
30日の午前中に再度病院に行こうとしましたが持ち上げたときに体温の低下を感じました。
ストーブの遠火で温めてカイロの上に乗せて病院に行き保温と酸素室に入れてもらい
抗生物質の注射をしました。帰り際の車の中でおしっこか多分下痢をしたのかシートが
黄色に濡れてました。
その後、2時間ほど仕事を片付けてミルクやスポイトなど買い込んで帰宅しました。
保温と高頻度の栄養補給でなんとか正月まで体力をもたせればよくなるのでは
ないかと思っていました。帰宅後スポイドで2gほど飲ませて別の巣箱に寝かしていました。
様子を見ると少し安定してるようにも見えて少し安堵してました。
1時間後くらいに突然動き回るようになって親元がいいかなと思い移動させたりしましたが
大きな泣き声で泣き出して3回ほど泣いたところでおしっこか水を出して息を引き取りました。
苦しみだして1分くらいと思います。僕の手の中で息を引き取りました。
その後2度ほどひきつけを起こしたように見えましたが呼吸は止まっていたので
痙攣のようなものと思います。

見返してみると幾度かのエラーがあったように思います。他の子に比べてかなり成長が
遅かったのでなにか障害があったのかもしれませんが徐々に体重が増えていたので
やりようによっては生きながらえられたように思い後悔が大きいです。
特に目薬をさしていれば肺炎にならなかったかもしれなかったと悔やんでいます。

結局、自分がわかっていなかったということだと思います。知識としては体重管理が
重要であることや少しのことで命を落とすことも知っていましたが実感として
わかっていなかったからこそ疎かになったと思います。

死というのはその後に何もしてやれないということで命の大切さを改めて感じました。
またそれゆえに後悔を残すのだと思います。
その後悔は自分の愚かさを受け入れることでのみ解消されると思います。
自己欺瞞で乗り切るのは命を落とした子猫に申し訳ないです。

生まれて1ヶ月あまりで虹の橋を渡ってしまいました。近親交配と未熟児なため当初より
うちの子にするつもりでしたので思い入れも強く、小さい体で頑張っている姿に励まされたり
励ましたり、三毛猫で白の多い子で可愛くなりそうだなと思っていたりしました。
無くなる前の1分間に80回位の呼吸で横たわっている姿は見ているのが辛くなって体をなでれば
少しでも楽になるんじゃないかと夜中になでたりしていました。無くなる直前の大きな泣き声
と表情は目に残っています。今まで死を看取ることがなかったので非常に辛いものだと思いました。
ペットを飼うということは死を看取ることでもありますね。
その後遺体の処理方法を教えてもらうのに動物病院に電話しましたがそのときに涙と嗚咽が
止まらなくなりました。こんなに悲しくなるとは思いもしませんでした。
今日の葬儀でも人前では我慢していましたが涙が止まらず最後のお別れで冷たく固くなっていましたが
まだフワフワの毛をなでた時も遺骨を拾うときも涙がボロボロ出ました。
思い返せば1ヶ月足らずでも立派な家族だったんだと思います。家族だったからこそこんなに
悲しいのだと思います。

今日の葬儀で一区切りをつけたいと思います。これ以上は自己憐憫になるだけと思います。
葬儀と文章をまとめて落ち着いたようにも思いますし、まだ3兄妹と親猫2匹いるので
今まで以上にかわいがっていつか来る別れのときに後悔を残さないようにしたいです。

ブチちゃんには大変な時間だったかもしれませんが先に逝って待っていてください。
今度は大きくなるまで目を離しません。ありがとう。さようなら。

雑感として死を看取ることは初めてでしたが葬儀は重要だと思いました。
お経のテープが流れたのですが内容はわかりませんが落ち着くんですね。
また区切りを付ける意味でも重要です。今まで葬儀や読経などを意識
したことは有りませんでしたがどういう形態であれ死を弔うのは残された者にとって
の人類の叡智の一つだと強く感じました。